montokokoroの日記

悶モンって名前でTwitterしてます

さらば2022年。

2022年が終わる。

どんな1年だったかというと、半分以上ニートしてました。くずだ。つまり最高。

年の最初の方は大学の卒論執筆と発表準備で忙しかった。いや、嘘。忙しくなかった。その時期はずーーっとそのことしか考えてなかったので疲れてたけど、手間と時間をかけてた訳ではない。精神的リソースをそちらに向けてただけで手は動いてなかった。ずっと気にしていながらろくに教授と連絡もとらず適当にすませた。頑張るべきなんだけど、その頑張り方が分からねえんだ、馬鹿だから。プライドはあるので頭下げてアドバイスもらうことは出来ないけど、馬鹿なんだ。提出期限ぎりぎりにようやく提出。発表の時間は石像のものまねをするつもりで壇上に立ち質疑応答はぼーっとしてた。質問されても知らねーよ、こっちも分かってねえんだ。私の卒論が学部でワーストの自信がある。しかしだ。卒業出来たじゃん。卒論の単位もらったじゃん。やったぜ。終わりよければ全てよし。

大学4年で就活はせず、卒業後は実家に帰省。親に寄生。それから今までなんもせず、生み出したものは排泄物程度。世界はコロナとかウクライナとロシア、円安物価高など波乱の1年だったようですがニートには関係ない。あらゆる不都合はニートの場合一気にやってくるタイミングがあるんだと思う。普通の人が少しずつ何かを積み上げ解決していくのを傍目に、実家でぬくぬく。問題は認識しなければ問題たり得ないと思いきかせてゲームと惰眠。

 

来年かあ、、、。知らねー。

 

このブログを始めたのも今年の11月だった、そういえば。もっと色々作れば良かったですね。友人に勧められて読書用のTwitterアカウント作って、読んだ本の感想とか呟いてたのをもう少し長い文章でやろうと思い始めたけど、あまり使ってない。本の感想はこのブログでは一切語ってないので、来年は本とか映画の感想もブログにしていきたい。

ブログで「嫌な本の帯ランキング」とか作ろうと思ったけど、不毛すぎるのでやめた。けど言いたい。センス悪い帯多すぎる。脅迫じみた帯とか一生その本読んでたまるかって思う。「この本を読まずしてミステリーを語るなかれ」とか、「知らないと損する新常識」とか。そんな帯きもいから本当に取り下げて欲しい。そんなに買わせたいかね。本の内容がくだらなかった場合はこの作者はこんなもんか、二度と買わんなと思うだけ。けど、帯は誰が考えて編集したのか分からないのでたちが悪い。お前も作者同様表紙に名前出せや。

一方で、出版側からすれば本は買わせてなんぼ。本の売り上げと読まれたかどうかは関係ない。読んだ本が面白かったらもっと別のものも読もうと思うから、内容も大事だけど、まずは買われないといけない。実際、個人が購入した本の7割くらいは最後まで読まれない、みたいな記事を読んだ記憶がある。かなり曖昧な記憶なので数値はかなり違うかもしれない。ネットの記事や動画と違い、どうやって計測するのか分からないが、ほとんどの人が身に覚えがあると思う。自分の本棚にも読了していない本は大量にあるし、こういう読まれない本に払った金が出版業界を支えていると思うとむなしくなる。2023年はもっと本を読む。

 

総括すると、今年はニートの年でした。でもいいじゃん。日本人みんな働きすぎなので我々ニートがバランス取ってあげてるんですよ。しわ寄せは親にしか行かないので悪いとは思ってる。

ニートは自由な時間がめちゃくちゃあるので気になってた映画を見たり、買ったけど読んでなかった積ん読がかなり減ったりすると思ってた。安価な文化資本に目を通す時間に使われると思ってた。しかし、現実はむしろ積ん読増えたし、ネットフリックスやアマプラのマイリストが増えた。時間は圧倒的にあるのに。ニートの自由時間、この時間は際限なく存在する。無限のように見える。なぜなら区切りがないから。働いている人なら週に2日休日があるとすると、その2日は労働日と区切られているため終わりがある。この終わりが大事。人はいつでも出来ることをわざわざ貴重な今することはないのだ。いつでもできるという認識を今やらねばに変えるのが終わり。終わり、〆切り、区切りなどが時間の純度を高めるために必要。大学生の時の課題レポートも〆切りがあるから書くことが出来た。〆切り直前にひいひい言いながら文字数稼ぎに必死になってた。しかしニートの休日には終わりが無い。

これはおそらく、老後にも言えることだと思う。結構な人が安寧の老後を求める。ある程度貯蓄して退職金を頂いて年金をもらいながらの老後。そこまで行き着けば自由な時間がまとまって来て、自分の趣味などやりたいことのために時間を費やすことが出来ると思っているかもしれない。けど、まとまった自由な時間が一気に来ても、それをきちんと扱える人は案外少ないと思う。時々人に会う時に何をしているのかともちろん聞かれる。私は正直にニートと答えるが、相手の反応はもちろんよろしくない。そういう時には老後を先取りしている、とか逆FIREだ、とか答える。もちろん詭弁だ。けど、多少本気でも言っている。皆老後やFIREで自由な時間を獲得することに憧れがあると思う。けど、それって漫然と憧れていてもいざ取得すると、案外扱いに困ると思う。その予行演習をしているとも言える。まあ、身にならないクソみたいなコンテンツを眺めるのがほとんどだけど。2時間の映画を見ることは億劫だけど、Twitterとかインスタのショート動画を眺めてると3時間くらい経ってることが最近よくある。クソだ。しかし退屈には勝てない。それを実体験できただけでもニートの甲斐はあるかもしれない。これも自己弁護だ。

来年も自己弁護するぞーー。