montokokoroの日記

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日記とか

日記。

 

今日もモンハンしてました。拡散弓つえー。

傀異研究レベルも110まで上がった。まあ、今週の木曜には上限が200まで上がるんですけどね。

 

 モンハンは置いといて。最近よく考えることは年をとること。生と死はくっきりしてる。戸籍には生まれた日がちゃんと残っていて、墓には死んだ日が刻まれる。

 老いはグラデーションでゆっくり進む。本人も気付かないくらい。私はまだ全然若いつもりだけど、10年前と比べると確実に老いている。ではいつ老いは始まったのか。分からない。

 生死ははっきりしているといったが、それらは記録であり、他人が決めたもの。紛失も改ざんも可能。現代人のほとんどは自分の誕生日を知っているが確証はない。本当は数日ずれているかもしれないし、一歳くらいずれてるかもしれない。死の定義も曖昧だったりする。脳死とか。そう考えると私達の人生がいつ始まっていつ終わるのかはよく分からない。生まれた時の記憶なんてないし、死ぬ時には死んでるんだから自分が死んだことを認識出来ないのではないか。そんな感じで、自分が老いた時を認識することは可能か。若い時と比較すれば可能だろうけど、そんなこと忘れてそう。老いた時には若い時のことを忘れてるなら、比較として相対的な老いを感じることは出来るだろうか。それとも老いとは若さと比較して浮かび上がるものではないのか。

勝手に考えて、勝手に難しくなってきた。定義とかそんなものは誰かが勝手に決めた暫定的なものでそもそも曖昧だ。そんなこと分かってるけど考えたくなる。

なにかくっきりしているものが欲しい。何かと別の何かを分けるくっきりとした境界があれば、安心出来る気がする。でも自分の身体とか自然にそんなものは無い。

 

 書くの疲れた。眠くなってきたので寝ます。ニートは好きな時に寝て好きなときに起きます。目覚まし時計なんて捨ててしまえ。