montokokoroの日記

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日記

日記。

 

 モンハンの話。傀異研究レベルを119まで上げた。あと1つで上限いっぱいの120。慣れるとソロの方が速くクエストをこなせるが、ただただダイミョウかティガレックスを拡散弓でしばくだけなので作業っぽい。やっとここまで来たが、木曜日にはレベルの上限が200まで上がる。

 

 月曜日、老人ホームにいる祖父に会ってきた。祖父は今年の5月に脳梗塞を起こし、視力と記憶力が著しく低下した。やられた部分の脳は回復しないため、死ぬまでこのままである。長い病院生活で筋力も落ちている上、院内でも自分の居場所が分からなくなってしまうためなのか、移動は車イスだ。時々トイレに行く時に迷子になることもあるらしい。自分のいる場所が記憶出来ないのか、目の前のものをちゃんと見分けられず道に迷うのか。

 先月から今入居している老人ホームに引っ越した。そこでの面会は2回目だ。今の時代、老人ホームや病院への面会は難しい。コロナのクラスターがもし老人ホームで起こったらどのような結果になるか。そのため面会は時間が決められ、一組のみである。普段祖父がいる部屋まで入ることは出来ず、ロビーに面会用のスペースが区切られている。先月の面会はそんな感じで、大変だなと思った。その時は祖父のすぐ近くまで行くことが出来たが、今回の面会はガラス越しだった。もはや中には入れず、出入り口の自動ドアの一部を閉めきり、そのガラス越しに会うだけだ。1メートルも離れていない距離で電話を使って話す。最近第8波と騒がれているのでそのように警戒するのも当然だ。

 入院していた時は面会さえ出来なかった。最初に入院した病院から別の病院に転院する時に付き添ったが、それは1ヶ月ぶりの対面だった。その時の祖父はかなり痩せていて、最初はこの車イスに乗っている人が自分の祖父なのか疑った。すぐそばまで近づいてもこちらの顔を自ら注視することはなく、常にきょろきょろしていた。視力が低下し、人の顔の判別が付かないらしい。もともと耳も悪く、補聴器を付けるのを嫌がっていたので聴力も悪い。近くで大声で名前を言うと、ようやくこちらが誰なのか分かる。分かるというか、その時はそれで納得する。数分後にはあなたは誰だと聞いてきて、また自分の名前を言って、あなたの孫だと言う。そういう会話を数分毎に行う。数分前の自己紹介を忘れているのか、目の前のぼんやりとした輪郭の人が誰なのか確証が得られず、何度も尋ねるのか分からない。祖父の感じている世界はどんなものだろうか。

 今回の面会は母と2人で会いに行った。私は母のそばにいるだけでほとんど話さなかった。私の声は祖父にとって聞き取りづらいらしく簡単な言葉でも何度も聞き返される。それよりも、何を話して良いのか分からない。何の会話だったら今の祖父に通じるのだろうか。

 面会の最初はやはり自己紹介から始まる。母と私が名を名乗る。今回は最初からそれが自分の娘と孫だと分かったようだ。母が自分の年齢を告げると驚いた様子でもうそんなに年をとったのかと言う。その時、祖父にとって母は、子供の時のままだったのだろうか。私も年齢を教えると「社長だ」と言った。なぜ私のことを社長だと思ったのかは分からない。実際は働いてすら無いと言うと、「遊んで暮らしてるのか、いいなあ」と返ってきた。その通りだ。

 祖父との20分くらいの会話の中で、同じことを何度か話す。それは、あなた達は誰なのか、自分がいる場所はどこなのか、ばあちゃんは何をしているのかということ。前回の面会でも同じことを何度も聞いてきた。ばあちゃんは既に他界しているが、母は前回同様、家でテレビを見ていると言う。死んだということを言いづらいのか。それともばあちゃんが死んでいるということと、それを忘れていたことを知ることが祖父にとってショックだから伝えないのか。母が考えていることもよく分からないが、私も正直に話すことが出来ず母の言葉につなずく。そうすると大体祖父は自分も家に帰りたいと言い出す。それにも私は返事が出来ない。母は適当に、記憶力が戻ったら帰れるとか、リハビリを頑張ったら帰れるとか言う。祖父の脳の損傷箇所が回復することはないので、何をどう頑張っても以前のようになれるはずもないのだが。

 いっそのこと正直に言ってしまえばいいのだろうか。言われたことも数分後には忘れているだろうし。そんなことは出来ず、ほとんど母の返事に相づちを打っているだけだった。

 面会の途中、祖父が自分を連れ出して家まで返らせてくれと頼んだ。今なら職員も見ていないのでばれないから、と。母は笑って駄目だと言った。

 次の面会の時間が来たので、私達は祖父に別れを告げた。祖父は家に帰りたいと言った。皺だらけの顔の上にさらに皺を重ねてそう言ったのだ。

 そこで面会は終わったので、家に帰って私はまたゲームを始めた。母は仕事に行った。

 

日記。色々はしょった部分はあるが、大体こんな感じの月曜日でした。