montokokoroの日記

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南極料理人

極寒の大地南極で8人の男達が約1年を共にする映画、「南極料理人」。

何度も見た映画だ。面白い。

南極観測基地という特殊な閉鎖環境で、わざわざくだらないホモソーシャルを描いているコメディ映画である。特殊な環境やそこでの仕事など、画になりそうなところはいっぱいあるのにそこに注目せず、男同士のくだらない生活を撮るのに重きを置いている。

 

平均気温-50度、標高約4000メートル。舞台であるドームふじ基地がある場所はペンギンやアザラシどころか、ウイルスさえいない極寒の大地の中だ。

派遣された8人を除けば人どころか別の生物はいないし、途中でどこかに行くことももちろん出来ない。1年以上、狭い基地におっさんだけ。

おっさん8人が共同生活する、ぐだぐだごちゃごちゃした感じがいい。そういう洗練されていない生活が数分の定点カメラのワンカットで何度かある。例えば、起床時間に全員が個室から出てくるだけのシーン。眠そうな顔とねぐせ、寝間着でおっさん達が個室から出てくるだけの場面を廊下視点で写す。個室の扉を開けきると塞がってしまうくらい廊下は細い。そんな廊下に寝起きのおっさん達が出てくるところを写すだけのシーンが面白い。他には朝ご飯のテーブルにメンバー全員が1人ずつ着席するだけのシーンなんかも面白い。主人公の料理人、西村が1人で配膳しているところに1人ずつ入ってきて、挨拶をしたり軽い雑談をする。そして全員が揃えば朝ご飯を食べ始めるというだけのシーン。こういったなんでもないシーンが見ていて面白いから良く分からない映画でもある。そこにある面白さは観客が一方的に人間観察を出来ることだろうか。例えば食べ方にはクセがよく現われてる。何にでも醤油をかける奴、まずキノコをのける奴、おかずを絶対ご飯の上に置いてから食う奴、箸の使い方が下手な奴、いろんなクセが食べ方に出ている。

人物同士の関係も深掘りはされない。だが、その2人がどういう関係かというのは細かい会話や振る舞いから出ている。「盆ちゃん」は「ドクター」からよく尻を蹴られているので舐められてる。「本さん」が一喝すればみんな大体黙るので、彼は怖がられている。で、不機嫌な時の本さんにも口だしできるのは「タイチョー」だけで対等なことが分かる。そんな2人の付き合いは長そうだったりする。そういった細かいことが会話や気の使い方から大体分かるのが面白い。

 

南極基地という閉鎖環境に男が8人だけなので、ホモソーシャルのノリと娯楽しかない。ホモソーシャル?なんというか、体育会系の部活、男子校の寮生活という感じだろうか。

娯楽は基本、麻雀、飲酒、たばこ、漫画、テレビビデオ(時は1997年)くらいしかない。1年以上そんな環境なので娯楽にも飽きる。けど他にやることもないから慣れた娯楽で時間を潰す。また、ラジオ体操の映像の女性に興奮するくらい男しかいない。かわいそうな位、男しかいない。節分の豆まきをしようって話になった時、鬼役は誰がやろうか。そういう嫌な役回りは一番年下の大学院生の好青年に押しつける。そんな彼をパンツ一丁に鬼の仮面だけで外(気温はおよそ氷点下50度)にほっぽりだす。惰性と悪ノリと少しの上下関係。南極基地という特殊な環境で、各員は特殊な技能を持って派遣された専門家なのに、そこにあるのはしょうもないホモソーシャルだ。

 

映画の後半から暦は6月、南極では極夜になり太陽が昇らなくなる。前半は真っ白な雪の大地と青空という幻想的な風景がよく出てくる。野外ではきつさと寒さもありながら、真っ青な晴天と真っ白な大地でどこか楽しそうな雰囲気があった。しかし極夜になれば外はずっと真っ暗だ。生活の基本は狭い基地の中に限定される。それと同時に共同生活の嫌な部分が出てくるようになりトラブルが続出する。

作業をサボるために仮病を使う奴が出てくる。氷点下50度とかなのでウイルスも生存出来ないので風邪になるはずがないのだが、本人は風邪か何かとか言ってさぼってる。夜中に袋麺を勝手に食う奴らのせいで、ラーメンが無くなる。あと半年の基地生活でラーメンを食えない。それで深刻な顔をしているのが普段ラーメンを勝手に食っていた奴だから因果応報である。大学院生の好青年は日本に残した彼女とたびたび電話をしているのだが、破局する。遠距離恋愛だから仕方がない。水は南極基地にとって大事な資源なのに、シャワーでめちゃくちゃ使っている奴がいる。そいつは仮病で作業で休んでたやつで、皆が造水というつらい肉体労働をしている時にシャワーを使ってたことが判明する。

そういったトラブルもくだらない。当人達にとっては深刻な問題なのがかえって面白い。

 

あだ名というのも男性社会っぽい。しかし8人の中で1人、主人公の料理人(堺雅人)だけあだ名がない。彼だけ「西村」という名字で呼ばれていたのはなぜだろうか。西村なので、「西さん」とか、コックとかシェフとかのあだ名を付けるのは容易だ。なのに彼だけ「西村」(さん・君)と呼ばれていた。なぜだろうか。

物語は基本西村の視点だし、彼のモノローグも多数ある。「西村」という視点は観客と映画の中継地点でもあり、その呼び方を西村という一言で固定するための配慮だろうか。

 

しょうもないコメディ映画なんだけど、描かれ方も登場人物も気取って無くて良い。そんな映画の感想でした。

 

終わり