montokokoroの日記

悶モンって名前でTwitterしてます

チバユウスケについて

チバユウスケが死んだ。

55歳。

11月26日にはもう、亡くなっていたらしい。

4月頃に食道ガンがみつかって、それから活動を休止していた。

the birthdayは数年前知って以来よく聴いている。チバの自由で幻想的な歌詞と、しゃがれた声が好きだ。

YouTubeに「hallelujah」のライブ映像があり、何度も聴いていた。中盤の長い間奏から徐々に盛り上がっていく演奏と何度も繰り返されるハレルヤという言葉が印象的だ。

そのライブ映像が収録されているブルーレイが「月夜の残響」に同封されており、買った。今年の2月くらいに。かなり良かった。でも、それが最後のCDになるとは。

ガンで活動中止してから、最悪の場合は考えていた。その時が来たら、最初に聴く曲は何がいいかなーとか、色々妄想していた。

「声」か「さよなら最終兵器」か。「爪痕」も捨てがたいし、個人的に一番好きな「ROKA」もいい。「OH!BABY DON'T CRY」はthe birthdayじゃないし、あまりに感傷的すぎる。でも一番合っている気もする。いっそTMGEのデビュー曲の「世界の終わり」か。

結局聴いたのは、「スカイブルー」だった。これも名曲だと思う。デビュー曲の「世界の終わり」と比べると色んなことを思ってしまうけど、あまり言葉にならない。

そもそも、彼の作った曲は残り続けるんだから、聴きたい曲は全部聴いてしまえばいい。

チバユウスケの歌詞は、かなり終末思想というか、世界が終わる時のことを想像している曲が多い。自分で世界を壊すのではなく、勝手に壊れちゃう世界を。天変地異みたいな幻想的なことか、戦争が起こって荒廃した世界。それにあまり悲観的ではなく、大切な人を隣に置いて、終わった世界を楽しそうに、愛おしそうに眺めている誰か。その風景は綺麗だろうなという想像が伝わってくる。

「スカイブルー」のせいで、チバが本当に死んだのか、実感がない。彼は死んだのではなく、どこか遠い、ここと繋がっている場所にいるような気がする。

 

カモンジェーン!ドボザワール!

来れるのなら 来てみろよ

カモンジェーン!ドボザワール!

僕らはまだ ここに立ってる

 

このサビが、何度も頭の中で繰り返される。

 

開設1周年

日記 

 

このブログを開設して、今日で1年になる。

この半年くらいは月に1回投稿するかどうかぐらいだったから、あまり1年たった気がしないけど。

アイコンとかデザインとか、適当にいじるつもりだったけどしていない。時々駄文を垂れ流す排水溝でしかない。ここは。

この1年間、私はずっとニートだった。しばらくもそのままだろう。

ずーっとゲームしてた。典型的なニートだったと思う。

時々体を動かしては少しの達成感を得て、ぐっすりと好きなだけ寝てた。

それさえ億劫な時はゲームかTwitterYouTubeで時間を潰してた。よそ様のことや社会のこと、自分の将来のことは見ないふりをして、ただただ怠惰だった。

今年の初めの方に、2023年は100冊本を読もうと意気込んでいたが、まったく読めていない。アマプラとネットフリックスのウォッチリストも貯まるだけで、見ることは滅多にない。それもタダではないのだが。

積ん読も増えてる。これらは何かの行動の時、精神的なおもりになっている。暇な時は一切気に懸けないのに、何か差し迫る事情があると、やりたいと思って貯めていることが気になってしまう。そんなの全部捨てた方がいいんだが、そんなことも出来ない。言い訳でしかないけど、本当にその時になってようやく気になり出す。

そんな感じだった。振り返ってみると自分のクズさがすごい。

次の1年はもう少し、将来のことを考えよう。いや、考えるとろくな事にならない。色々(考えなくていいことを)考えてしまうタイプだから、考える前に動くべきなんだろう。

でも、もう夜なので、今日は寝よう。

おやすみなさい、今日の私。

がんばれ、明日の私。

 

おわり

髪切ってプール行って耳を痛めた

日記

 

半年くらいしてなかったけど、日記。

先々週くらいに髪を切った。およそ1年ぶりに。だいぶ伸びてた。

かなーり頭が軽くなった。

アゴムとドライヤーを使わなくて良い日常は控えめに言って最高。寝癖がつくのがちょっとめんどくさいけど。髪が長いと寝癖がつかないのだ。

髪を切ったついでにメガネも変えた。フレームに傷があったのと、レンズにも細かい傷が多くて、変えたいと思ってた。

髪とメガネを変えると、印象がかなり変わってくる。友達と会って、見た目のことにかなりつっこまれた。

その友人達とボードゲームカフェに行った。かなり楽しめた。5時間たっぷりと遊んだ。他の席も全部埋まってて、店の空気がかなり詰まってた。換気して欲しかった。そのせいで頭が回らないのか、珍プレイも多かった。また行きたい。偶然だけど、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』を最近読んでる。この本も結構面白い。

後日、髪を短くして乾くのがかなり速くなったので、プールに行った。髪乾かすのに時間がかかると、プールとか銭湯がちょっとめんどくさい。その日に水着買って市民プールへ。なんか、ニートにしては活発な1日だった気がする。普通なら買ってもその日には行かないんだが。めっちゃ晴れてて、ニートしていることに罪悪感があったのかもしれない。晴れは良い天気とされているが、青空と太陽に時々責められているような気分になる。せっかく晴れているのに何もしていない自分が。

水曜日だったから、水に惹かれていたのかもしれない。今思い返してもなぜプールに行ったのかはっきりとは思い出せない。色んな理由がある気がする。原因はいつでも後付けなのだよ。

泳ぐのは高校の体育以来な気がする。久々に行った市民プールは改装されていてかなり綺麗になってた。スタッフが全員コナミだった。提携しているのか。前からそうだったのかもしれない。最後に市民プールに行ったのは中学生とかだったと思うので、その時の自分なら気付かないだろう。

クロール以外の泳ぎが出来ない。バタフライは何やってるのかよく分からないし、平泳ぎも苦手だ。その場から進まない。背泳ぎは前が見えなくて、周りに知らない人が多い場所では難しい。

25mプールを25往復した。25×25×2=1250m。にっこにっこにー。

ラブライブ知らん。にっこにっこにーと、ばば抜きで変顔する人しかしらない。

現実で、ばば抜きで表情に全部出る人って見たことない。てことは、私がそうなのかもしれない。「カモが見つからないなら、自分がカモだ」という賭事における金言通り、他の人間の表情から情報を読み取れないなら、私が読まれている側なのかもしれない。

ロッカー周りがかなり綺麗にされてて、シャワーの隣にゴミ箱みたいな金属製の箱があた。それが小さな脱水機だった。脱いだ水着を入れると洗濯かごが高速回転して、数秒で脱水してくれる。これで持ち帰る時に水浸しにならない。感動した。

水曜に行ったプールに金曜も行った。確か1500m泳いだ。疲れた。

次の日、右耳がめっちゃ痛かった。右顎も痛い。咀嚼が出来ないくらい痛い。プールで耳に何か入ったままになってたんだろう。

顎が痛いので土曜からおかゆとガッツギアしか食べられない。あと、アイスと飴。咀嚼が出来ないおかげで、飴をちゃんと舐めて味わっている。いつもはすぐ噛んでしまうのに。数少ない利点だ。

耳がジンジン痛くて夜寝れない。食と睡眠、同時に弊害が生じている。

今日、耳鼻科に行ってきた。だいぶ良くなったけど、明日も行かないといけない。

 

髪切ってプール行って耳を痛めた。

そんな感じの最近だった。

終わり。

南極料理人

極寒の大地南極で8人の男達が約1年を共にする映画、「南極料理人」。

何度も見た映画だ。面白い。

南極観測基地という特殊な閉鎖環境で、わざわざくだらないホモソーシャルを描いているコメディ映画である。特殊な環境やそこでの仕事など、画になりそうなところはいっぱいあるのにそこに注目せず、男同士のくだらない生活を撮るのに重きを置いている。

 

平均気温-50度、標高約4000メートル。舞台であるドームふじ基地がある場所はペンギンやアザラシどころか、ウイルスさえいない極寒の大地の中だ。

派遣された8人を除けば人どころか別の生物はいないし、途中でどこかに行くことももちろん出来ない。1年以上、狭い基地におっさんだけ。

おっさん8人が共同生活する、ぐだぐだごちゃごちゃした感じがいい。そういう洗練されていない生活が数分の定点カメラのワンカットで何度かある。例えば、起床時間に全員が個室から出てくるだけのシーン。眠そうな顔とねぐせ、寝間着でおっさん達が個室から出てくるだけの場面を廊下視点で写す。個室の扉を開けきると塞がってしまうくらい廊下は細い。そんな廊下に寝起きのおっさん達が出てくるところを写すだけのシーンが面白い。他には朝ご飯のテーブルにメンバー全員が1人ずつ着席するだけのシーンなんかも面白い。主人公の料理人、西村が1人で配膳しているところに1人ずつ入ってきて、挨拶をしたり軽い雑談をする。そして全員が揃えば朝ご飯を食べ始めるというだけのシーン。こういったなんでもないシーンが見ていて面白いから良く分からない映画でもある。そこにある面白さは観客が一方的に人間観察を出来ることだろうか。例えば食べ方にはクセがよく現われてる。何にでも醤油をかける奴、まずキノコをのける奴、おかずを絶対ご飯の上に置いてから食う奴、箸の使い方が下手な奴、いろんなクセが食べ方に出ている。

人物同士の関係も深掘りはされない。だが、その2人がどういう関係かというのは細かい会話や振る舞いから出ている。「盆ちゃん」は「ドクター」からよく尻を蹴られているので舐められてる。「本さん」が一喝すればみんな大体黙るので、彼は怖がられている。で、不機嫌な時の本さんにも口だしできるのは「タイチョー」だけで対等なことが分かる。そんな2人の付き合いは長そうだったりする。そういった細かいことが会話や気の使い方から大体分かるのが面白い。

 

南極基地という閉鎖環境に男が8人だけなので、ホモソーシャルのノリと娯楽しかない。ホモソーシャル?なんというか、体育会系の部活、男子校の寮生活という感じだろうか。

娯楽は基本、麻雀、飲酒、たばこ、漫画、テレビビデオ(時は1997年)くらいしかない。1年以上そんな環境なので娯楽にも飽きる。けど他にやることもないから慣れた娯楽で時間を潰す。また、ラジオ体操の映像の女性に興奮するくらい男しかいない。かわいそうな位、男しかいない。節分の豆まきをしようって話になった時、鬼役は誰がやろうか。そういう嫌な役回りは一番年下の大学院生の好青年に押しつける。そんな彼をパンツ一丁に鬼の仮面だけで外(気温はおよそ氷点下50度)にほっぽりだす。惰性と悪ノリと少しの上下関係。南極基地という特殊な環境で、各員は特殊な技能を持って派遣された専門家なのに、そこにあるのはしょうもないホモソーシャルだ。

 

映画の後半から暦は6月、南極では極夜になり太陽が昇らなくなる。前半は真っ白な雪の大地と青空という幻想的な風景がよく出てくる。野外ではきつさと寒さもありながら、真っ青な晴天と真っ白な大地でどこか楽しそうな雰囲気があった。しかし極夜になれば外はずっと真っ暗だ。生活の基本は狭い基地の中に限定される。それと同時に共同生活の嫌な部分が出てくるようになりトラブルが続出する。

作業をサボるために仮病を使う奴が出てくる。氷点下50度とかなのでウイルスも生存出来ないので風邪になるはずがないのだが、本人は風邪か何かとか言ってさぼってる。夜中に袋麺を勝手に食う奴らのせいで、ラーメンが無くなる。あと半年の基地生活でラーメンを食えない。それで深刻な顔をしているのが普段ラーメンを勝手に食っていた奴だから因果応報である。大学院生の好青年は日本に残した彼女とたびたび電話をしているのだが、破局する。遠距離恋愛だから仕方がない。水は南極基地にとって大事な資源なのに、シャワーでめちゃくちゃ使っている奴がいる。そいつは仮病で作業で休んでたやつで、皆が造水というつらい肉体労働をしている時にシャワーを使ってたことが判明する。

そういったトラブルもくだらない。当人達にとっては深刻な問題なのがかえって面白い。

 

あだ名というのも男性社会っぽい。しかし8人の中で1人、主人公の料理人(堺雅人)だけあだ名がない。彼だけ「西村」という名字で呼ばれていたのはなぜだろうか。西村なので、「西さん」とか、コックとかシェフとかのあだ名を付けるのは容易だ。なのに彼だけ「西村」(さん・君)と呼ばれていた。なぜだろうか。

物語は基本西村の視点だし、彼のモノローグも多数ある。「西村」という視点は観客と映画の中継地点でもあり、その呼び方を西村という一言で固定するための配慮だろうか。

 

しょうもないコメディ映画なんだけど、描かれ方も登場人物も気取って無くて良い。そんな映画の感想でした。

 

終わり

「君たちはどう生きるか」感想

ジブリの「君たちはどう生きるか」を見てきたので、その感想。

以下ネタバレなので本当に注意。ジブリが一切情報を告知せずの公開なので、作品を見るつもりの人はその意図をくみ取って、こんな素人のブログなんて見ずに映画館で全てを見て欲しい。今時作品の情報を全て封じて、自分で見るしかないっていう状況は贅沢だと思うので、その体験を映画館で、自分の体でして欲しい。

私もTwitterとかで他人の感想やネタバレが溢れる前に自分で見てしまおうと公開初日に見に行った。

このブログは自分が見て感じたものを一時保存するための自己満足だ。

 

見るまでに思ったこと。

まず、宮崎駿が監督をつとめる作品は風立ちぬで最後だと思っていたので、普通に嬉しい。高齢だし、前作で引退宣言をしてたので、よくやったなと思う。ジブリオタクはかなり深いところまでいるが、私はかなりライトな層だ。ほとんどの作品は夏に金曜ロードショーで見た程度だ。それでも子供のころから知っているアニメ監督の新作なので、それが見られることは嬉しい。一方で見る前から不安でもあった。告知が全然されないので大まかなストーリーどころか、時代、場所、主人公さえ分からないという状況で、全ては映画館で見るしかなかった。見る前に分かっていたことはタイトルと、ポスターの鳥みたいな動物だけ。

今の時代にそこまで情報を制限して公開するのはすごい。チケットを買った後にシアターの売店をのぞくとグッズが何点か置いてあった。ポスターやキーホルダーなど。それらも全てあのポスターのイラストしか使われてなかったのは笑った。また、公式パンフレットは公開後数日してから販売されるらしく、公開当日には置いてなかった。ここまでの徹底ぶりは恐ろしさすら感じた。

相当覚悟を決めて見ることを客に要求してくる作品だなと思った。本来、ほとんどの作品はそうであるべきかもしれないが。

 

以下、本編を見ての感想。

いろんなことを感じたが、大きいのは疲れとくやしさだった。

まず、疲れた。とても疲れた。情報が多い。場面転換も多い。おまえは誰だ?そこはどこだ?それは何だ?そういった疑問が尽きず、説明されずに容赦なく次にいく。一方でくどいくらい言葉で表す部分もあり、それらが相まって分かるようで分からない。覚悟を決め、出来るだけ多くのものを吸収しようと意気込んで席に座ったが、その覚悟をあざ笑うように色んな物が降ってきて、こちらの理解が及ぶ前にどこかへ飛んでいった。全てが何かの暗喩のようで、それが何なのかよく分からない。

 

次に悔しかった。何に対してかよく分からないが、この感情を一言で表すと悔しさだと思う。作品のほとんどを理解できない自分への悔しさ。何か、すごいことが起きている気がするけど、それが何なのか分からない。また、宮崎駿への怒りもある。あのジジイ、自分が言いたいこと好き勝手に早口で言い切って、ろくに説明もせずにどっかに行きやがった。ぽかーんとした顔で映画館を後にしながら、宮崎駿の意地悪な笑顔が見えるようだった。お前には少し難しかったか?まあ、そうだろうなあ。もうちょっと勉強して出直してこい。俺はいつでもここにいるから。そう言われたような気がした。堂々と自分のやりたいことをやってのけた。さすがだ。悪く言ってしまえば簡単だ。「観客を置き去りにしている」。使い古された、それでも的確な一言で済ませされる映画でもある。

あれだけの物をインスピレーションや一方的な思いだけで出来る訳が無い。設定や人物の関係など、多くのものがあるはずだ。そしてそれがよく見れば分かるように表現されていたはずだ。実際、さりげない部分で気付いたこともある。それでもほとんどのことが分からない。結局よく分からなかった。それだけだと駄作なんだけど、そうとは思えなかった。何かの予感を感じさせながらそれがよく分からない。

作品全体を通して、強いメッセージがあった。それが一番強く出てきたのは最後のやり取りの部分だ。彼の遺言、あるいは生前葬。勝手に世代交代を告げられ、世界をどうするか任された気分だ。理想や人の善性だけで、世界を構築できるのか。それらだけで積み上げられた世界はひどくもろいものではないか。しかし、悪意は簡単に広がり世界を燃やしてしまう。なら、理想の世界とは何だろうか。悪意を見抜き理解しながら、善で世界を構築する。死の匂いが溢れている主人公の眞人。彼は子供らしく純粋で潔癖だが、強い義務感も持っているようだ。そんな彼にしか作れない世界の部分があるらしい。一方で、それは誰もがいずれは忘れてしまうことで、それを気をやむ必要はないのかもしれない。

最後に積み木が崩れ、塔も倒壊した。それは別の時代と繋がっていた世界が断絶されたとも取れる。歴史の繋がりが絶たれてしまったのか、別の塔が別の場所に現れたのか、それは分からない。しかし、わざわざ最後のシーンを描いた。終戦から2年後、疎開先から東京に帰るための引っ越しのシーン。すっかり片づけられた部屋の中で眞人がポケットの中の何かを確認する。そこにはまだあれが残っているのだろう。

 

かなり抽象的な感想しか出てこない。細かい場面を見ると、やはりジブリのアニメだなって感じだった。動物の群れや群衆の描き方がすごい。大量の似たものが同時に動くシーンなんかも他のアニメとは比べものにならない。青鷺が徐々に憎たらしい姿に変わる場面や、おとなしく平和な世界が一変して荒々しくなるシーンなども素晴らしい。

また、他のジブリ作品に似た動きや構図も多かった気がする。あ、このシーンあれに似ているな、この視点の描き方ってあの作品でもあったな。そう思える場面が多かった。基の映像が膨大にあるから、自然と似たのかもしれない。セルフオマージュで似せにいったのかもしれない。まあ、どちらでもいい。アニメーションとしても面白い作品だった。

 

もう一回見に行こうと思う。それでもよく分からないと思うけど。特に理解できなかったのは2人の母のことだ。彼女らはあそこで何をしていたのか。眞人にどうして欲しかったのか。その辺りに注意してもう一度見たい。

 

終わり。

 

ゼルダの新作買った

ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」 買った。

新しいゲーム買ったけど今の気持ちはあまり高ぶっていない。ゼルダ知らないので。主人公の男の子の名前がゼルダじゃないってことは知っている。確かリンクだ。こんなタイトルでの引っかけがあるとは。

そんくらい知らない。ゼルダシリーズは一度もプレイしたことがないので完全に素人。ただのかかし。

では、なぜ買ったのか。

正確には、今回ゼルダの新作ソフトを買ったのではなく、事前に買ってた「ニンテンドーカタログチケット」の余りを使った。これは9800円で任天堂switchのソフトを2本買うことが出来るチケットで、結構人気なタイトルを安く買える事が出来る。どれも新品で5000円は超えているし、中古のカセットもあまり値が落ちていないのでお得な商品ではある。一枚目は9月9日にスプラ3のために使った。有効期限は1年なのであと3か月以内に使わないといけないけど、ここから先欲しいゲームが出そうにない。そんな中で今回のゼルダ新作は面白そうだったので買った。さすがに知らないゲームを当日に7800円出して買うのはね。

今回の新作はなんて言えばいいんだろう。全部言うのには長い。ティアキン?最近ミソキンなるインスタントヌードルが流行っているけど、それはティアキンの布石だったのかもしれない。多分違う。ティアキン。しばらくはゼルダの新作と呼んでおこう。

買ったはいいけど、問題はストーリーがどれくらい理解できるかだ。ブレスオブザワイルドやってないけど、前回の続編らしいので置いてきぼりにされるかもしれない。それどころかシリーズ恒例のキャラとか仕組みも知らない。

FF13をプレイせずにFFライトニングをしているようなものだろうか。そう思うと微妙かも。とりあえずもう買ってしまったのでやるしかない。新規にも分かるように作ってあるはずだけど、前作している方が感動は深いんだろう。

数日後にはどはまりしている私がいるかもしれないが、購入当時はかなりフラットな状態だったことを記録するための日記でした。

ちなみにスプラとモンハンは買ってから1ヶ月くらいは生活の全てをそのために費やしてた。今回はどうだろうか。

 

おわり

 

アニメの最終話見たくない病

ぼっち・ざ・ろっくの最終話をやっと見た。

最近見始めた訳では無い。

放送されてた時に最新話を追ってたんだけど、最終話だけ見てなかった。なんでだろう。なんか、だるくて見てなかった。

水星の魔女も最後の2話だけ見てない。これもリアタイしてた。面白いんだけど、最後で体力が尽きるというか、興味が別のものにいってしまう。

では、逆になぜ今日ぼっちざろっくの最終話を見たのか。それも分からない。なぜ今まで最終話だけ見てなかったのか分からないのと同様、なぜ今日見たのかも分からない。

 

最終話の感想。

普通に面白かったーー。もっと早く見ておけば良かった。

内容はTwitterで見かけて断片的に知ってたので驚きはあまりなかった。Twitterでネタにされてた情報を確認するような、最悪な鑑賞環境だ。だからTwitterやめたい。「水星の魔女」も残りの2話で何が起こるのか大体知ってしまったので、今から見ても確認作業だ。シーズン2がもうすぐ始まるのでそれはリアタイでちゃんと見たい。

多分、周囲の影響を受けやすいタイプなので、周りがネタにしてる場面とかに過剰に反応してしまう。だからこそ初見は自分で鑑賞したい。周りの評価は一切見たくない。せめて見る時間を制限したい。でもTwitterYouTube制限すると、ニートはやることない。switchも一日中するには体力が持たない。読書なんてもっと体力が必要。だらだらと考えずに見続けられるのはやっぱりTwitterとかYouTubeのショート動画みたいな、脈絡無くて、次をあちらが用意してくれて、分からないものはさっと飛ばせるコンテンツだ。気付いたら数時間経ってた読書体験はあまりないが、SNSやショート動画だとそれが平気で毎日起きる。

最終話のedがアジカンの曲だった。「転がる岩、君に朝が降る」。良い歌だわ。どっかの回のタイトルが「アフターダーク」だったりしたので、アジカンリスペクト作品なのかも。というか、いろんなロックバンドからタイトルとか設定取ってきているのかもしれない。あまり詳しくないので分からんけど。

 

話は変わるが、4月は毎日瞑想することを目標にする。なぜ瞑想かと言われると色々理由はあるけど、一番の理由は元手が0ですむから。維持費も道具も必要ない趣味って、最高か?

お金がかかる趣味は色々あるけど、やっぱりお金はかからない方が良い。趣味で金かかると本当にお金に縛られてしまう。しかし。お金がかからないからって理由で趣味を選ぶ思考自体が最もお金に縛られている。お金から自由になるにはお金が0になる心配が無くなるほどの貯蓄を抱え込むしかないのだろうか。

 

で、瞑想すごい。難しい。2,3時間ショート動画をぼーっと横になりながら眺めることは容易でも、たった10分瞑想することがかなり難しい。瞑想には多分色んな種類があるんで一概には言えないが、あぐらをかいて目を閉じてじっとして、その間自分の呼吸で膨らんだり縮んだりするおなかの感覚に意識を向けるだけ。たったこれだけのことが難しい。今月は毎日数分だけでもやっていく予定。

以上、久々の日記でした。